茶道と華道の世界を覗いた話。

華道のお稽古に通い始めてもうすぐ3年になる。



もともと大学時代には茶道をやっていた私。

お点前を覚えたり、着物を着られるようになったり、お茶会を開きおもてなしという気持ちを覚えたり。

所作が綺麗だ、お茶を点てるのが上手だと褒められることも嬉しくて。

お茶会のお運び(お菓子や水屋で点てたお茶をお客さまへお出しする役割)の責任者をやって、笑顔で直接お客さまをもてなすことも自分に向いていて楽しかった。



そうやって茶道を楽しんだ6年間を経て社会人になり、全く違うことを始めてみようという気持ちになった。

そこで始めたのが華道。

茶道と華道。

全く違うこと?と疑問に思われるかもしれない。

私自身も最初は、茶道の楽しみ方はある程度知ったし次は近からず遠からず、という気持ちで始めたのだけれど。

やってみると、全く違う道であることを知る。



初めて華道の体験に行った時、先生からかけられた言葉。

「ここでは仕事のことも全部忘れて自分の気持ちを開放して良いのよ」

ああ、なんて素敵な場所なのだろう、と思った。

ただただ目の前のお花とだけ向き合って集中する時間は、実際日常で積み重ねたもやもやした気持ちを忘れさせてくれる。

そして、生け終えた花を先生に手直ししていただきながら、こんな言葉をかけられる。

「今日はあなた、気持ちがきゅうと縮まっている気がするわね」

「今日は良いことがあったかしら。素直に朗らかに入ってるわ」

無意識に自分の気持ちを花で表現しているようで。

まるで箱庭療法のよう。

決まった型のようなものはあるけれど、その基本を身につけた後、結局のところ、華道は花の美しさや自分自身を表現するアートなのだと。

そんな当たり前かもしれないことを、始めてしばらくの後に実感した。



たった6年かじっただけで言うのもおこがましいけれど。

実感として。

茶道はおもてなしの文化そのものだと。

お客さまに楽しんでいただくために、お道具やお菓子、お茶、空間そのものを創り上げる。



そして、まだ3年足らずでこんなことを言うのは更におこがましいけれど。

華道はアートだと。

花をいかに美しく活かすか、魅せるか。



茶道と華道。

今は華道をもっと深く知りたいと思う。

展示会なんかにももっとたくさん行きたい。



そんな私の趣味の話。

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